雑記帳

2009年12月12日 (土)

バオバブの木

家内が好きだった小説「星の王子さま」(サン=テグジュペリ作)を読み返してみた。理由ははっきりしませんが、作者サン=テグジュペリはこの小説の中でバオバブの木を「わるい木」あつかいにしている。どうやら繁殖力が強く星いちめんにはびこり、小さな星を突き通し破裂させるからだと説明しています。植物に悪い木なんてあるのだろうか?
これと正反対なのが本橋一成著の「バオバブの記憶」(平凡社)だ。朝日新聞(2009.3.29)視線の記事から引用紹介すると、「アフリカのセネガルで乾季の終わりに象の家族が樹皮を剥いで水分補給をしていた。バオバブの根は木の容量の65%の水分を蓄えるという。人は葉を干して粉にして食べ、根は薬ともなる。アフリカでは動物も人もバオバブの木に恩恵を受けている。村人は「母なる樹」とあがめ讃えている。しかし、近年は環境の変化で若木はほとんど育たないと言う。」むしろこちらの方が問題だ。私は実物を見たことがないが、写真で見ると徳利のような幹と樹の根っこのような枝葉はユーモラスである。いずれにしても植物を枯らす人の気のほうが問題ではなかろうか?

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2009年12月 7日 (月)

大雪

今日(12/7)は二十一節季のひとつ「大雪(たいせつ)」である。太陽が黄経255度に達した時をいう。ちょうど寒くなり雪が降る時期にあたる。昨日と変って今日の東京は晴れてはいるが、北風が冷たく寒い1日であった。北の国からはまさに雪の便りが届いた。多摩丘陵のクヌギたちもかなり葉を散らし、森の中が明るくなった。おかげでシジュウカラやジョウビタキなど小鳥たちもはっきり見えるようになった。朝の明けるのは遅く、夕方日の暮れるのは早い、一番日中の短い季節である。

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2009年11月30日 (月)

この花なーに?

最近、写真のような花を目にする。どうもここ平山2丁目界隈で園芸種として栽培している家が多い、よく目にする。何しろ幹の背丈が5mを超え、その先Img_0044_3 で枝分かれした先に紫を帯びたピンクの大きな花をたくさんつける。我が家の お隣の庭先でも咲いている。奥さんに尋ねたら「皇帝ダリア」と教えてくれた。名のとおり威風堂々としている。なにしろ花の少ないこの時期にとても目立ってよい。ところで花栽培には流行があるのだろうか? 4~5年前にはトランペットを栽培する家が多かった。私も育てた記憶がある。それともう一つ品種改良で冬でも花を楽しめる。ビオラやパンジーなど霜の下りる季節でも健気に咲いてくれる。これって環境に影響しないのだろうか? と、素朴な疑問がわいてくる。

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2009年11月26日 (木)

小春日和

小春日和(こはるびより)の「小春」とは陰暦の10月のことで、今頃つまり、秋から冬に移る頃に現れる「春」のような暖かな日のことを言う。今日(11/26)日Img_0048s 本列島は高気圧に覆われ晴れて暖かで、正に「小春日和」だ。多摩丘陵も遅かったクヌギも紅葉し、黄色、橙、茶色、黄緑に染まり美しい。穏やかで風も少ないが、それでもハラハラと葉が落ちる。Img_0051 私の散歩道も落ち葉のプロムナードに変身し、歩くたびにカサカサと音をたてる。突然、ガビチョウが飛び出してきて驚かされた。

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2009年11月19日 (木)

万里の長城

「不到長城非好漢(長城に到らずんば好漢にあらず)」と言う毛沢東の言葉がある。我々も好漢になるべく、明の十三陵を後にして「長城」に向かう。八達31 嶺である。現在はロープウエーで簡単に山稜に行ける。この万里の32 長城は、秦の始皇帝が北方民族の匈奴の侵入を防ぐために修築し、そのあと明代まで増築が繰り返され、現在は西の嘉峪関から東は山海関まで6,300kmに達すると言う。尾根伝いに這う大城壁は、スペースシャトルからも確認できるそうだ30。ロープウエーで山稜の城壁に辿り着くと、雄大な眺めに圧倒される。と同時に、はあふれる人で賑わっていた。城壁から下を覗くと、ロバにレンガ を背負わせて今も少しづつ修復をしている。悠久の時をこれからも重ねていくことでしょう。

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2009年11月17日 (火)

明の十三陵

10月21日は唐さんの義兄が車を出してくれて、北京郊外へドライブ市内から高速道路を走ること約1時間、昌平区天寿山の麓に明朝の皇帝の内13人の陵墓が点々と連なることから「明の十三陵」とよばれる。南端の正門から25_13_2 北に のびる「神道」には柳並木を背に獅子、駱駝、麒麟、馬などの石獣と武官、武官、功労があった臣官の石像が並び陵を護っている。我々は明の反映を導いた永楽帝が眠る「長陵」と「定陵」を見学した。長陵は円形の墓で今も発掘されていない。墓の前に祭祀の場として建てられた26_13_2 「稜恩殿」がある。ここに模型や遺 物、27 永楽帝像が展示されていた。永楽帝の命で遠洋航海した鄭和の偉業も展示されている。「定稜」は1956年に偶然に発見された墓で、地下約20mに造られている「地下宮殿」だ。1584年から6年掛かりで造営されたと言うから、大土木工事であったに違いない。そこに万暦帝と2人の后が眠る。この地下の中殿にある白玉の玉座も素晴らしかった。

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2009年11月15日 (日)

紫禁城を訪ねて

  ACRSで北京を訪れた機会にいくつかの名所・旧跡に足を伸ばした。最初は、故宮博物院(紫禁城)。故宮の北側に人工的に造られた山、景山(H=104m)に登り故宮全景を俯瞰した。正午を少し過ぎた時刻で、橙色の屋Img_0054_2 根瓦が金色に輝きとても美しかった。時間の制約もあるので、「ゆっくりは見ていられない」と、案内をしてくれた中国の友人「唐」さんが言い、今回は神武門から入り中央を抜けるコースを辿った。この紫禁城は明の永楽帝が南京から遷都した後、14年かけて完成させた皇城である。資料によると、南北961m、東西753m、敷地面積72万㎡、周囲は高さ10mの城壁とその外側には幅52mの堀がめぐらされ、宮殿群を護っている。中でも元旦、冬至、皇帝の誕生日など大典を行う「大和殿」は間口66mの中国最大の木造建築だそうだ。計測屋の私が興味を引いたのは、この大和殿に向かって右側に置かImg_0065 れた大理石でできた「日時計」と左側に置かれている古代中国の穀物量(枡)の標準器である。日時計は春分から秋分までは表側、秋分から春分までは裏側を使う、現在の北京標準時にあわせてあるそうだ。枡は中国語では「嘉量」  Img_0069_3と表記されていた。斛(Hu)、斗、升、合、龠(Yue)の容量単位が乾隆9年(1744年)に制定された、と表記されていた。ともかくこの宮殿の壮大さには驚く。

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2009年9月 7日 (月)

My Favorite Blogに追加

9月に入って私のブログも3年目を迎えました。最近はあまり進化がありません。そこで My Favorite Blog に2つお気に入りを追加しました。

 一つは私に距離の計算をプレゼントしてくれたW少年(ダイヤモンド富士とパール富士の自由研究)の計算のHPです。距離計算のほかに日食の計算、4次方程式の解の計算などがあります。

 二つ目はタグちゃんのブログです。ブロガーは防災研に勤める田口仁さんで、GISや測量、Googleストリートビューや画像解析など興味ある記事を書いています。このブログからタグちゃんネットというHPにもサーフできます。こちらも充実していて私には楽しい。ぜひ覗いてみてください。

私の「My Favorite Blog」は左サイドの下にあります。そこに載せてますので見に行ってください。

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2009年8月31日 (月)

御岳山とレンゲショウマ

8月28日、暑さを逃れ御岳山に登った。もう一つの目的は“レンゲショウマ”に会いたかったのだ。青梅線は御岳駅からバスでケーブル下まで行き、そこからケーブルカーで一気に標高828mまで登る。さすがに下界と違って涼しい。さらにリフトを乗り継いで行くと、そこはレンゲショウマの群生地である。もう盛りは超えていたが、それでもたくさん可憐な花をつけていた。カタクリの花が“春の妖精”ならこのレンゲショウマはImg_0019 “夏の妖精”と言えるだろう。ちょっと含羞をおびうつむいている少女のようだ。ひとしきりカメラのシャッターを押した後、標高929mの御岳神社へ向かう。創建は崇神天皇7年というから2000年以上の歴史をもつ。僧行基が東国鎮護のため蔵王権現を奉ったとも伝えられる。周辺には宿坊が立ち並び正に関東の霊山の様相を呈している。こうした中を散策し、展望台でビールを頂き、下界に降り立った。Img_0005

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2009年8月30日 (日)

道教の美術

  8月27日(木)は「悪がき3人組」と友人のかみさんが言う仲間と三井記念美術館に「道教の美術」を見に行った。道教とは中国における現世利益を願う民族宗教で、陰陽五行説と神仙思想を基本にして形成されている呪術的宗教です。この宗教は日本では敷衍されなかったが、いろいろ影響を受けている。平安時代には律令制のなかで陰陽寮を造り、天文観測し暦をつくり、水時計で時刻を管理した。天文・方位・風水、式紙を使い呪術をもちいる安部晴明など現在でも興味をもたれている。中世では役行者が開祖とされる修験道、日本古来の山岳信仰に密教と道教の神仙思想が融合して成立したものだそうです。仏教や神道の縁起絵巻や六道絵や餓鬼図、一方では神仙思想を反映した絵画として蓬莱山図や桃源図などを堪能した。
Img009  美術館を後にした3人は、浅草に繰り出し先ずは観音様にお参りして、六区方向に向かうホッピー通りの1軒に腰を下ろし、黒ホッピーと牛の煮込みに舌鼓を打った。仲間の1人が”もんじゃ焼き”を食べたことがないというので、店を移し、電気ブランをすすりながらもんじゃ焼きを堪能した。楽しき1日であった。

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