旅行・地域

2009年12月12日 (土)

バオバブの木

家内が好きだった小説「星の王子さま」(サン=テグジュペリ作)を読み返してみた。理由ははっきりしませんが、作者サン=テグジュペリはこの小説の中でバオバブの木を「わるい木」あつかいにしている。どうやら繁殖力が強く星いちめんにはびこり、小さな星を突き通し破裂させるからだと説明しています。植物に悪い木なんてあるのだろうか?
これと正反対なのが本橋一成著の「バオバブの記憶」(平凡社)だ。朝日新聞(2009.3.29)視線の記事から引用紹介すると、「アフリカのセネガルで乾季の終わりに象の家族が樹皮を剥いで水分補給をしていた。バオバブの根は木の容量の65%の水分を蓄えるという。人は葉を干して粉にして食べ、根は薬ともなる。アフリカでは動物も人もバオバブの木に恩恵を受けている。村人は「母なる樹」とあがめ讃えている。しかし、近年は環境の変化で若木はほとんど育たないと言う。」むしろこちらの方が問題だ。私は実物を見たことがないが、写真で見ると徳利のような幹と樹の根っこのような枝葉はユーモラスである。いずれにしても植物を枯らす人の気のほうが問題ではなかろうか?

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2009年11月19日 (木)

万里の長城

「不到長城非好漢(長城に到らずんば好漢にあらず)」と言う毛沢東の言葉がある。我々も好漢になるべく、明の十三陵を後にして「長城」に向かう。八達31 嶺である。現在はロープウエーで簡単に山稜に行ける。この万里の32 長城は、秦の始皇帝が北方民族の匈奴の侵入を防ぐために修築し、そのあと明代まで増築が繰り返され、現在は西の嘉峪関から東は山海関まで6,300kmに達すると言う。尾根伝いに這う大城壁は、スペースシャトルからも確認できるそうだ30。ロープウエーで山稜の城壁に辿り着くと、雄大な眺めに圧倒される。と同時に、はあふれる人で賑わっていた。城壁から下を覗くと、ロバにレンガ を背負わせて今も少しづつ修復をしている。悠久の時をこれからも重ねていくことでしょう。

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2009年11月17日 (火)

明の十三陵

10月21日は唐さんの義兄が車を出してくれて、北京郊外へドライブ市内から高速道路を走ること約1時間、昌平区天寿山の麓に明朝の皇帝の内13人の陵墓が点々と連なることから「明の十三陵」とよばれる。南端の正門から25_13_2 北に のびる「神道」には柳並木を背に獅子、駱駝、麒麟、馬などの石獣と武官、武官、功労があった臣官の石像が並び陵を護っている。我々は明の反映を導いた永楽帝が眠る「長陵」と「定陵」を見学した。長陵は円形の墓で今も発掘されていない。墓の前に祭祀の場として建てられた26_13_2 「稜恩殿」がある。ここに模型や遺 物、27 永楽帝像が展示されていた。永楽帝の命で遠洋航海した鄭和の偉業も展示されている。「定稜」は1956年に偶然に発見された墓で、地下約20mに造られている「地下宮殿」だ。1584年から6年掛かりで造営されたと言うから、大土木工事であったに違いない。そこに万暦帝と2人の后が眠る。この地下の中殿にある白玉の玉座も素晴らしかった。

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2009年11月15日 (日)

紫禁城を訪ねて

  ACRSで北京を訪れた機会にいくつかの名所・旧跡に足を伸ばした。最初は、故宮博物院(紫禁城)。故宮の北側に人工的に造られた山、景山(H=104m)に登り故宮全景を俯瞰した。正午を少し過ぎた時刻で、橙色の屋Img_0054_2 根瓦が金色に輝きとても美しかった。時間の制約もあるので、「ゆっくりは見ていられない」と、案内をしてくれた中国の友人「唐」さんが言い、今回は神武門から入り中央を抜けるコースを辿った。この紫禁城は明の永楽帝が南京から遷都した後、14年かけて完成させた皇城である。資料によると、南北961m、東西753m、敷地面積72万㎡、周囲は高さ10mの城壁とその外側には幅52mの堀がめぐらされ、宮殿群を護っている。中でも元旦、冬至、皇帝の誕生日など大典を行う「大和殿」は間口66mの中国最大の木造建築だそうだ。計測屋の私が興味を引いたのは、この大和殿に向かって右側に置かImg_0065 れた大理石でできた「日時計」と左側に置かれている古代中国の穀物量(枡)の標準器である。日時計は春分から秋分までは表側、秋分から春分までは裏側を使う、現在の北京標準時にあわせてあるそうだ。枡は中国語では「嘉量」  Img_0069_3と表記されていた。斛(Hu)、斗、升、合、龠(Yue)の容量単位が乾隆9年(1744年)に制定された、と表記されていた。ともかくこの宮殿の壮大さには驚く。

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2009年2月12日 (木)

浅間山の噴煙を見に

2/8~11まで万座温泉スキー場に行ってきました。万座山ロマンスリフトを降りた所でモバイルフォーンのGPSで位置を計測したら、N36°38' 48.2" E138°30' 16.7" 私の腕時計で標高を測ると1,990m スキー場のパンフレット(案内図)では万座山は1,994mと表記されていたので、ほぼ正しい。連日、天気に恵まれ御飯岳、根子岳、阿四山、浅間山の眺望をほしいままでした。とりわけ今月初めに噴火した浅間山は今もImg_0003 噴煙をあげ、風下の山体は雪が積もっているにもかかわらず降った灰で黒く染まっていました。時おり勢いよく噴煙を上げることもありました。この浅間山を望みながらゲレンデを滑り降りる心地よさと、アフタースキーは温泉でしばし桃源郷の気分に浸ってきました。

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2008年10月26日 (日)

塔のへつり

会津のImg_0133旅の宿は、阿賀野川の上流、大川の渓谷にそって立ち並ぶ「湯野上温泉」であった。ここは熱海などのような喧騒な賑わいの温泉街はなく、 紅葉がはじまった渓谷にひっそりと佇む静かな温泉で、渓谷沿いの露天風呂も風情があった。
 翌日は宿の車で「塔のへつり」まで送ってもらった。「へつり」とはこの地方の方言で崖を意味するそうだ。大川沿いに約200mくらいだろうか石の塔のような柱状の断崖が続いている。一帯は第三系の凝灰岩、凝灰角礫岩、頁岩の互層でなり長年にわたる河の水の浸食と風化でこのような奇景を呈するようになったのだ。1943年Img_0126(S18)に河食地形の特異例として国の天然記念物にも指定されているそうだ。それにしても紅葉のはじまった「塔のへつり」の景観は、素晴らしかった。ここから程近い無人駅の「塔のへつり駅」付近のクヌギ林も清々しく気持ちの良い所であった。 東京から程近くでもこんな場所があるのだな、と感心しきりの旅だった

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2008年10月25日 (土)

大内宿

 先週(10/15-16)と会津を旅してきた。会津若松と日光今市を結ぶ「会津西街道」の宿場町、大内宿である。藤沢周平の映画のセットに迷い込んだかとImg_0109 思うような、江戸時代の雰囲気が残る、全長約500mの街道両側に茅葺寄棟の木造民家群が立ち並ぶ。街道の両側には水路が流れている。かっては飲み水に使ったのだろうか? それとも冬の融雪溝を兼ねているのだろうか? 教育委員会の立て札によると、「会津藩の初代藩主 保科正之、二代目藩主 正経等は参勤交代で江戸に向かう時にこの宿場を使い昼食をとった」と記録にあるそうです。現Img_0118 在、本陣は「街並み展示館」として利用されているが、戊辰戦争の時の激戦地であり図面等が散失したため、同街道の糸沢宿、川島宿の図面を参考に復元されたものだそうです。われわれもこの宿の一軒「山形屋」にあがり、囲炉裏端で岩魚の骨酒とおでんを頂き、しばし江戸時代にタイムスリップしたような感じを満喫した。

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2008年8月22日 (金)

高瀬ダム2

高瀬ダムを前面から見るとダム面を九十九折に道路が造られていて、車で登って行ける。天端に着いた頃には雨が降り出してしまいPhoto_3 槍ヶ岳は望めなかった。私の時計で高さを測ると1288m。パンフレットによると高水位面(HWL)が1278mとあったからそれより10m高い天端高は妥当な値であろう。このロックフィルダムとは、中心部分(コア)に遮水機能を持つ粘土のような土質材料で固め、その外側をコアが流出しないような半透水性の砂や砂利といった材質、0_2 さらに外側はこれらを押さえつける礫や岩で覆うという工法で造られている。このダム提体を下から見ると平らではなく波打って見える。実際、そのように積上げているのだそうです。それは地震の時に地震波を吸収し崩壊しないようにしていると説明を受けた。またこのアウターシェルの積上げは1人の石工によって行われたそうです。この後、マイクロバスは新高瀬川発電所へと案内してくれる。

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2008年8月21日 (木)

高瀬ダム

信濃大町の従姉妹の所に久しぶりで訪ねた。学生の頃、新入社員の頃は登山や調査の玄関口としてよく泊まらせて頂いた。世話をしてくれた叔母も元気で矍鑠として絵画や工作に精出しているのを見て安心した。その叔母が「くにちゃん、あんた若い頃さんざ調査した高瀬川にダムが出来てから見たことあるかや?」と訊く。「いや、ありません」と言うと、「見てきなさい」と言い、従姉妹のご主人Kさんが車で案内してくれることになった。車は大町市街を出ると一路、高瀬渓谷へと分け入った。

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2008年6月 7日 (土)

標高599m

標高599mとは東京の西郊にある山、「高尾山」である。私の住む平山城址公園から多摩丘陵の尾根を西へ辿れば高尾山に至る。高尾山の山頂にはImg_0019 (二等三角点)があり花崗岩の標柱が埋められている。600mに1m足らないのだが自然が豊かで東京の「奥座敷」ともいわれ四季を通じ都民の憩いの場となっている。この高尾山が仏「ミシュラン」の観光ガイドブックで最高の三ツ星を得たことが6月2日の朝日新聞(夕刊)に紹介された。「ミシュラン」と言うとレストランなどの格つけで有名だが、それとは別に観光地の格付けも行っているそうだ。そんなことで今、外国人観光客が急増しているという。登山口(清滝駅)から中腹の高尾山駅(標高472m)まではケーブルカーが運んでくれるImg_0015。このケーブルカーの創設は昭和2年、日本では生駒鋼索鉄道についで2番目に古い歴史をもっていることと、最大斜度31°15′で日本一の急勾配であることは割合知られていない。 (写真は昨年の秋に撮ったものです)両駅間の斜距離1020m、高低差271mを約5分で運んでくれるが、上下線のすれ違う複線区間を過ぎ、最大斜度の区間にかかると、さすがにヒヤリとさせられる。車窓からの眺めも良く、いまなら若葉のなかにそろそろ紫陽花が咲きはじめる頃だろう。

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